今ここに新しく生まれたグループは日本に既存のオーケストラとは異なった性格を持ち、演奏会の一般的レパートリーをさらに充実させることができると確信しているものです。
バロック音楽、オリジナル楽器といった呼称は今日一応の市民権を得、『西洋音楽』の表現方法が必ずしも一様ではないことはよく知られるところとなりました。今や、日本で根強い人気のあるヘンデルのメサイアやヴィヴァルディの『四季』、またバッハの器楽曲や受難曲などがオリジナル楽器によって演奏されることは何の驚きでもありませんし、様々な音楽が、当時の楽器と演奏習慣によって生気を帯び色彩豊かなものとなることは、多くの聴衆が経験し認めるところであります。そのような音楽と楽器との時代的合致、音楽的目的と道具の性能との一致は、本来どの時代の音楽にも当てはまるものなのであります。
モーツァルトやハイドンなどを始めとする古典派の音楽、つまり、バロック・オーケストラとシンフォニー・オーケストラの一般的レパートリーの間に位置する音楽がやはりオリジナル楽器によって驚くほど新鮮に響くことは、今までに来日した諸団体の演奏や録音などによって明らかにされて参りました。しかし日本には現在のところそれを専門とする団体はなく、バロックの団体が時に興味深いプログラムを提供してくれるという程度に留まっていて、長い目で見られる定期的活動をしている団体は見当たらないように思われます。聴き親しまれ、ある意味で音楽の基礎のように扱われている古典派音楽をオリジナル楽器で聴くチャンスが日本では未だに少なく、一般的聴衆への提供はもちろんのこと、将来を担う音楽学生もそのような演奏を経験できないままでいるのは大変残念なことであります。
過去16年をヨーロッパで過ごし数々の団体と共演させていただいてきた私は、経験を生かしつつ、このような考えを反映した団体を作ろうと決心いたしました。中心的レパートリーとして考えているのは、何をおいてもまずハイドンのシンフォニーです。一般的に『ハイドンのオーケストラ音楽』と聞いて連想されるのはニックネームのついた後期の大編成の交響曲などです。もちろんそれらは素晴らしいマスターピースではありますが、エステルハーツィという一種隔絶された場所で書かれた初期・中期の作品の多くは、まったく独創的なものであるにもかかわらず正当に評価されているとはいえません。また例えば、モーツァルトの交響曲やさまざまなコンチェルトなどを考えましても、それらが日本人によって、そしてオリジナル楽器で演奏される機会はもっと増えてしかるべきでしょう。それに加えて、彼らのようなビッグ・ネームの陰に隠れている作曲家の興味深い作品を探し出し紹介することも私たちの活動の一部であり、また使命でもあると考えています。
時代は時々刻々と進んでいるのに何故音楽の世界だけは過去のものに拘泥しなければならないのか、という問いは常に存在します。確かに、私達現代に生きる音楽家は、今まさに生まれている音楽や創作活動にも目を向けているべきではあります。しかしながら、この不穏な世界を音で表現しようとしているかに思える『現代音楽』とは別に、『過去の作品』が現代の必需品であることもまた否めません。『過去の音楽は現代の音楽となった』というN.アルノンクール氏の言葉はまことに正しいと言わざるを得ないのです。しかも20世紀後半に行なわれた多くの研究や実践を経て、私たちが『知っている』はずの過去の音楽を再び『新たな響き』として経験できる可能性は、今とても高いのです。
古典派音楽は、ともすれば四角四面なもののように捉えられがちです。しかし細かく見れば、音楽がお定まりの紋切り型に作られている部分は極めて少なく、才能溢れた作曲家たちは規則という『枠』を『自由』になるための手段として用いているのです。枠があって初めて、人間はそこから『外へ出る』自由を認識しうるのですから。グループの名称にある「リベラ」は、そのような自由を含んだ音楽をしたいという想いから付けられています。
音楽を自由に飛翔させ、新鮮な響きをお届けできるよう努力していく所存でございます。皆様の深いご理解と温かいご支援を心からお願い申し上げます。
オーケストラ・リベラ・クラシカ 音楽監督 鈴木秀美


